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Channel: 仙石浩明の日記
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ベンチャーが学校教育に求めること

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東北大学大学院の教壇に立ちました。 産学連係講義 「先端技術の基礎と実践」 という講義で、 毎週一人づつ企業から講師を招いて、 ソフトウェアや IT 技術の様々な側面について理論的、 あるいは実際的な観点から講義してもらう、 という趣旨でした。 講義題目の一覧を見ると、 私以外は、 (講義の趣旨から言って当然ですが) 技術的な内容ばかりで、 私の講義 「学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力」 だけ浮きまくっていました (^^;。

本当にこんな内容で話していいのか (ある意味、大学院での教育方針にケンカを売るような内容ですので) と内心不安だったのですが、 少なくとも一部の学生さんには積極的に質問してもらえて、 1コマの授業時間だけでなく、 講義後のフリートークも時間いっぱいいっぱい使って、 学生さん達とお話しすることができました。 型破りな講義内容を快諾して頂いた先生方に深く感謝致します。

以下、 講義の内容です (実際の講義は脱線してしまったので、こんなに整っていませんが)。 囲み部分はスライドの内容です。

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おかげさまで KLab 株式会社は、先月 9月 27日に東証に上場しました

SAP (Social Application Provider) として上場するのは、 KLab が国内初だったこともあり注目を集めました。 SAP というのは、 GREE, モバゲー, mixi, ニコニコ動画などの SNS (Social Network Service) 上で遊べるアプリ (ソーシャルゲーム) を提供する会社のことです。 2009年に国内で初めて mixi が SNS プラットフォームをオープン化したのに合わせて KLab はソーシャルゲーム開発に舵を切り、 ソーシャルゲーム関連の売上が急拡大中です。 でも、 今日はソーシャルゲームの話はしません。 なぜか?

一つは、 明日が 2011年 8月期の決算発表で、 今うっかり先走って業績などを喋ってしまうと大変なことになるからですが、 もう一つは ↓

事業内容をみて就活するヤツ多すぎ (´・ω・`)

私は仕事柄、 就職活動中の学生さんとお話しする機会が多いのですが、 エンジニア志望なのに、 事業内容で会社を選ぼうとしている学生さんが多いことに違和感を覚えます。 みなさんは会社に入って事業をやりたいんでしょうか?

最初こそプログラマとして入社するけど、 あくまでそれは事業を理解する端緒としてであって、 なるべく早く開発を統括できるようになり、 事業を発展させることによって自らも成長し、 ゆくゆくは事業部長を目指し、 あわよくば社長も狙いたい、 ということであれば、 事業内容で会社を選ぶのも理解できます。

しかしながらエンジニア志望の学生さんの多くは、 事業部長を目指すというよりはもっと技術志向で、 専門性を活かした職種、 例えば技術コンサルタントやチーフアーキテクト、 あるいは 「技術者の社長」 であるところの CTO などをイメージしていたりします。 できればマネジメントはやりたくない、 開発の現場を離れたくない、 と考えている人も多いのではないでしょうか。

事業と技術、 どちらのキャリアを歩もうとするのか、 社会人としての最初の一歩を踏み出す前に、 もっと意識すべきではないでしょうか? なぜなら、 事業を中心に考えるのであれば技術は単なる手段であり、 極論すれば技術は新人の仕事ということになります。 できるだけ早く新人の仕事としての技術は脱却して、 マネジメント手法を学んでいかなければ 35歳でエンジニアとしての定年を迎えてしまいます。

一方、 技術を中心に考えるのであれば事業は単なる手段であり、 極論すれば事業が立ち行かなくなって会社が潰れてしまっても、 自身の技術力さえ伸ばせれば成功と言えるでしょう。 ずば抜けた技術力があれば転職も思いのままだし、 給料も言いたい放題でしょう。 だから、 事業内容で会社を選ぶのではなく、 その会社が自分の成長に役立つか否かで選ぶべきです。

言うまでもなくどっちつかずなのが最悪で、 残念なことにエンジニア志望だった人の多くが ↓ のような道を歩んでしまいます。

どっちつかずな人の末路 orz

若いうちは技術をやれ、と言われてデスマーチでこき使われる。
辛いけど自分は技術が好きなんだ、と現場にこだわり続ける。

そして、35歳でエンジニア定年。 泣く泣く現場を離れてマネジメントの道を歩み始めるが、
自ら進んでマネージャを目指した同期に追い付くのは不可能。

ただし技術の道を選んだとしても、 「ずば抜けた技術力」 が身につけられるのは、 元々その素質を持っていた人に限られます。 どの分野の技術でも向き不向きはあると思いますが、 ことコンピュータ関連の技術に関してはその傾向が顕著で、 努力すれば身につくような種類のものだとは到底言えないでしょう。 むしろ、 努力しなくても自然とスキルが伸びてしまったというような、 元々その素質を持っている人だけが、 高い技術力を獲得できる傾向があるように思われます。

なので、 自分が何に向いているか早く見つけることが何より重要、 ということになります。 ただし、いわゆる 「自分探し」 は時間の無駄です。 なぜなら、 向いているか向いてないかは、 やってみなければ分からないからです。

就活でちょろっとその会社の説明を聞いたぐらいで、 その仕事が自分に向いているか分かるわけはないのはもちろんですが、 実際に働き始めてみて 「自分に合いそう」 とか 「この仕事は自分に向いていない」 とか思うのもタイテー間違っていて、 自身の能力の限界まで力を出しきってみて初めて、 向いているか否かが分かる性質のものだと思います。 そもそもろくに仕事の内容を理解できてない段階で 「好き」 だの 「嫌い」 だの言ってみても始まりません。 何事もつきつめていけばそれまで見えなかったものが見えてくるわけで、 「好き」 だの 「嫌い」 だのは視野が充分広がった後で判断すべきものでしょう。

「好きなこと」 を仕事にするのは叶わぬ夢なのか?

「好きなこと」 「向いていること」 を仕事にしたい。 多くの人がそう望んでいると思いますが、 現実はそうなっていません。 むしろ、 生活のため仕方なく仕事している、 という人がほとんどでしょう。 「好きなことはあるけれど、 それで食っていくことはできない」 とあきらめてしまっています。

例えば、 私の周囲にはセミプロ級 (自称) のカメラマンがいます。 そんなに好きならなぜプロにならないのか? と聞いたこともあるのですが、 「カメラは趣味だからいいんだ」 などと意味不明な答が返ってきます。 彼らはプロを目指さず、 あまり好きでもないソフトウェア開発業務に携わっているわけですが、 それはプロのカメラマンを目指そうとすると、 自身にその素質がないことが白日のもとにさらされると思っているからなのでしょう。 つまり、 本気でプロを目指して挫折すると、 せっかくの 「趣味」 が嫌いになってしまうのが怖いのだと思います。

つまり、 「好きなことで食っていけない」 のではなくて、 プロを目指してみる覚悟がないだけなのです。 本気でプロを目指せば、 その道の素質があるか否か、 たちどころに分かることでしょう。 もし素質がなければ、 さっさとあきらめて別の道を試せばいいだけの話です。 手当たり次第に試していけば、 きっと自分に向いていて、 かつ本当に好きと思える仕事が見つかることでしょう。

だから最初に何をやるかは実はあまり重要ではなくて、 何をやるにしても本気でプロを目指してみることが重要、 ということになります。 大学に残ってアカデミックな世界のハイアラーキを登り詰めようというのでなければ、 プロを目指すのは就職してからが本番ということになります。

では、いま何をすべきか?

「産業界が学生に求めるのはコミュニケーション能力だ」 というデマが出回っているようですが、 これは嘘ですので忘れてください。 マトモな人に聞いてみれば誰でも同じ答がすぐ返ってくると思うのですが、 一番重要なのは 「考える力」 です。

考える力がないヤツ多すぎ (´・ω・`)

そもそも大多数の学生さんは 「考える力」 が何だか分かっていません。 幾多の試験を突破し、 大学院にまで登り詰めた学生さんを相手にずいぶんな言いようだと思いますが、 実際に数多くの学生さんと話してみた結果なのだから仕方ありません。 逆に、 考える力のある学生さんなら、 学歴・知識・コミュニケーション能力など一切不問で採用します。

例えば、 ほとんどの学生さんは、 何を聞いても質問一つできません。 当人は質問すべきことがないから質問しないだけ、 と思ってヘーキな顔をしていますが、 本当は何を質問したらいいか考えられないだけなのです。 また、 学生さんが就職して会社で開口一番、 何と言うか分かりますか?

少なくない人が 「早く仕事に慣れて、みなさんのお役に立ちたい」 って言うんです。 ベルトコンベアの組立工とか、 マニュアル通りに振る舞うことが期待されるマクドナルドの店員とかなら、 仕事に慣れることも必要でしょうが、 そういう仕事だと思って就職したんでしょうか? いくら今まで仕事をした経験がないといって、 あまりにウブすぎます。

そして極めつけは、 知識の習得には貪欲でも、 習得して何がしたいかの展望をまるで持っていないことです。 知識は手段であって目的ではありません。 それが小学校〜大学院 6+3+3+4+2=18年にもおよぶ学習期間において、 ひたすら知識を習得し続けた結果、 なんのために習得したのか、 その目的をすっかり忘れてしまったのでしょう。

学びて思わざれば、すなわち罔し

「目的意識を明確に持て」 とは誰しも言う言葉ですが、 では目的とは具体的には何なのか? 「世のため人のため」 とか途方もなく抽象的なことを言ってお茶を濁していませんか? あるいは逆に 「給料をもらうため」 とか途方もなく具体的なことを言ってしまうかも知れません。 いずれの場合も、 そこから考える余地があまりなく、 思考停止してしまいがちです。

抽象的な話では面白くないので、 私自身の例を紹介しますと、 ずいぶん前から (たぶん中学生のころから) 「有名になりたい」 という目的を持ち続けています。 自分の名前を売るにはどうすればいいか考え、 (オープンソースという言葉ができる以前から) オープンソースソフトウェア (例えば stone) を公開し、 ブログを書き、 インタビューを受け、 いろんなところで講演したりパネルディスカッションに登壇したりしています。 今日、 ここでこうやって講演しているのも、 実を言えば、 人前でうまく話す練習をしたい、 というのが一番の動機だったりします。

ついでにいうと、 なんで有名になりたいかと言えば、 自由になりたいからです。 近頃は 「社蓄」(「会社+家畜」から来た造語) という言葉が使われるようになりましたが、 いわゆるフツーのサラリーマンは少しも自由ではありません。 嫌な仕事でも生活のためにヤムを得ず働いているわけです。 会社に依存せずに生きるには、 会社の肩書がなくてもやっていけるだけのネームバリューが必要ということに (たぶん中学生のころ) 気付き、 それ以来、 自由になるにはどうすればよいか考え続けてきました。

考える力は、 考えることによってしか伸びないわけで、 そのためには自分の考えが足りないことを自覚することが必須でしょう。 そして考えが足りないことを自覚するには、 まず自分が無知であること、 すなわち自分は何が分かっていないかを自覚することが必要です。

ここで重要なのは、 「分かってない」 と 「知らない」 の違いです。 「知らない」 ことは調べれば済む話で、 考えてどうこうできる問題ではありません。 つまり 「自分には知らないことがある」 と自覚したところでそれは考えるきっかけにはなり得ません。

一方、 「分かってない」 のは決して知識が足らないためではありません。 だから調べてどうこうできる問題ではありません。 例えば 「数」 の概念が分かってない人に 「数」 とは何かを教えようとする状況を想像してみてください。 あるいは逆に、 自分が 「数」 という概念を分かってなかったとして、 どうしたら 「数という概念が分かっていない」 ことに気付けるか想像してみてください。

「分かってない」 と 「知らない」 は違う

「分かる」 と 「自転車に乗れるようになる」 は似ている

思うに、 「分かる」 というのは 「自転車に乗れるようになる」 ことに似ていると思います。 「分かってない人」 が無自覚であると同様、 自転車を見たことがない人にとっては、 自分が自転車に乗れないと気に病むことはないでしょう。 そして最初の 「分かろう」/「乗ろう」 というチャレンジは確実に失敗します。 どうすれば 「分かるか」/「乗れるか」 皆目見当がつかない一方で、 いったん 「分かる」/「乗れる」 と、 どうやってそれができるようになったのか思い出せなくなってしまいます。

というわけで、 「考える」 ためにはまず自分が 「分かってない」 ことを自覚し、 次に 「分かろう」 と努力することが必要です。

後者は、 「分からないこと」 が目の前にあるわけですから、 あきらめさえしなければさほど難しくはないでしょう。 といっても思考停止という罠がたくさんあるので、 後者は後者で一筋縄には行かないのですけれど、 そんなことより問題は前者です。

すなわち、 「分かってない」 ことをいかに自覚するか? が鍵となります。

おそらく、 自力で自分の 「分かってなさ」 を自覚することは無理で、 他者に指摘してもらって初めて気付かされる、 という場合がほとんどなのではないかと思います。 じゃ、 どうすれば他者に指摘してもらえるか? 黙っていては無理で、 自分から自身の考えを発信してみることが重要なのではないでしょうか?

変なことを発信すれば、 親切な人が 「おまえは何を言ってるんだ?」 と指摘してくれるかも知れませんし、 慣れてくると他者の反応もあらかじめ予測できるようになり、 発信する文章を練っている段階で自分の至らなさを痛感するかも知れません。 私自身、 こうやって自身の考えを長々と述べていますが、 この考えのほとんどは、 いろいろな人と対話した結果生まれたものであって、 決して私の頭だけで考え出したものではなかったりします。

というわけで、 まずは内容は二の次で、 自分の言葉を発してみることが何よりも重要でしょう。 例えば今この場で、 質問してみるところから始めてみてはいかがでしょう?


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