2011年11月28日の KLab(株) 株主総会 (上場前の株主名簿に基づく最後の総会) 終了後、 私は取締役CTO を退任いたしました。 今から遡ること 11年前 2000年8月1日の (株)ケイ・ラボラトリー (当時の KLab の社名) 創業以来、 会社経営については全く無知であった私が何とかここまでやってこれたのは、 ひとえに皆々様方のご指導ご鞭撻のおかげであったと深く感謝いたします。 誠にありがとうございます。 なお、 後任として安井真伸が CTO に就任しました。
11年前、 日立製作所の研究所勤務の一研究員だった私が、 なぜケイ・ラボラトリーの立ち上げに参加したかといえば、 未知のモノに関わるチャンスがあれば、 あまり後先考えずに飛び付いてみる性格だったというのが大きかったと思います。
中途半端に好きな状態で居るのではなく、 興味を持ったのなら、全力で取り組んでみる。 自分の能力がどれくらいのものかと、把握できるまでやってみる。 そして向いてない、止めると決めたらそれ以上は手を出さない。 それを繰り返すことで、本当に自分が好きなもの、 人並み以上の価値を生み出せるものを見つけ出し、 それを仕事にしていったのが仙石氏のキャリアなのだ。
日立では一人の部下も持っていなかった私が、 マネジメントの何たるかを全く理解しないままに、 当時規模は小さかったとはいえ、 エンジニア集団のトップとして責任を負う立場に立ったというのは、 チャレンジというよりは無謀であったかもしれません。
失敗も多かったのですが、 まがりなりにも 11年も続けられたということは、 「経営者」 が向いていたということなのでしょう。 それまで私は自分のことを 100% 技術者 (ちょっとだけ研究者) だと思っていたのに、 マネジメントもそれなりに向いていたというのは発見でした。 「ベンチャー立ち上げ」 というチャンスに後先考えずに飛び付いて本当に良かったと思います。
もちろん、 私がしでかした数多くの失敗で、 多くの方々にご迷惑をおかけしました。 私の未熟さゆえに厄災に遭われた方々 (が本ブログの読者である可能性は低いのですが) にはこの場をお借りしてお詫び申し上げます。
右も左も分からない手探り状態で CTO の仕事を始めて以来、 一貫して自分に課していたことがあります。 それは、 「部下に仕事を任せること」。 ケイ・ラボラトリーの黎明期は、 やるべきことが多すぎて、 それこそ猫の手も借りたい状態だったので、 「仕事を任せること」 を自分に課したというよりは、 手が回らないから結果的に任せた格好になっていただけなのですが、 経営陣の末席を汚しているうちに経営とは何であるか私なりに学ぶ機会もあり、 黎明期を脱した後も、 たとえ自分がやりたい仕事であっても、 部下でもできる仕事であれば敢えて手を出さず、 任せるようにしてきました。
部下を育てなければ会社がまわらないわけで、 「仕事を任せることが重要」 なんてことは誰でも知ってるし、 誰でも実践していることだと思いますが、 自分がやりたい仕事まで手放す、 ということになるとどうでしょうか?
2006年に、 こんなことを書いています:
積極的に今の仕事を捨てるべきでしょう。 部下 (or 後輩) が成長してきて、 自分の代わりがつとまるようになったら、 全てその部下に任せてしまい、 新しいことにチャレンジするわけです。 そうすれば部下も育つし、 自分を変えることができます。 運がよければ新たな成長フェーズに入れるかもしれません。
私は、 チャンスに巡り合ったときに躊躇なく飛び付けるように、 あるいは新しいチャンスに巡り合う確率を上げるために、 取組んでいた仕事がある程度まわるようになったら、 その仕事にはこだわらず、 むしろその仕事を手放して別のことに取組むようにしてきました。
手放した仕事の中で一番大きかったのは、 大学院と日立で計 11年間も続いていた研究者としての仕事だったわけですが、 もし、 ベンチャー立ち上げに参加するチャンスに巡り合ったとき、 研究者としての仕事にこだわってチャンスに飛び付くのを躊躇していたら、 CTO をやってみることもなかったかもしれません。 当時は研究こそ自分の 「やりたい仕事」 だと思っていたのですが、 それを敢えて手放したことで CTO としての仕事に巡り合えたのだと思います。
その CTO の仕事も 2008年の時点で丸 8年になり、 かつての部下が二人も役員に登り詰めるに至って、 そろそろ私が KLab で果たせる役割も終わりが近づいてきたと意識し始めました。 社内で、 ことあるごとに 「CTO を辞めるつもり」 と (誰も本気にしてくれませんでしたが) 言っていましたし、 社外でも公言していました:
KLab を設立してから、どんどん仕事を捨てて自分を変えている (ピーターの法則に陥らないように)。 部下が成長したらすべて任せてしまう。 すべての仕事を部下に振り終えたら、私は CTO をやめる予定。 早く育成しないと。
株式の上場が現実味を帯びてきた頃、 ボトルネックの一つが人事制度でした。 人事は私にとって全く未知のモノでしたから迷わず飛び付きました。 労働基準法を一から勉強したり、 人事マネージャ候補を 20人以上面接したり、 弁護士や社労士の先生方と連係したりと、 初めてのことばかりで失敗もあったのですが得難い経験をしました。 特に人事担当者を採用するための面接は、 技術者の面接とはまるで異質で、 大変勉強になりました。 とはいえ、 私は (予想通り) あまり人事向きではなかったので、 一年程度で人事の仕事は手放して後任に引き継ぎました。
そして無事上場を果たしたいま、 KLab の業績は絶好調です。 過去 11年間の KLab の歴史の中で最も好調な今だからこそ、 11年続いたこの仕事を捨てて自分を変える最適のタイミングだと判断しました。 未練がないと言えば嘘になりますが、 新しいチャンスに巡り合うために敢えて取締役を退任することを願い出た次第です。 私のワガママを快く受け入れてくださった、 真田社長をはじめとする取締役の方々に感謝いたします。
今後は、 まずは様々な人とお話しして、 どこかにチャンスが落ちていないか ;-) 探すつもりです。 私から連絡するかも知れませんが、 もしご関心があればご連絡頂ければ幸いです。 私は今まで何百人 (数えたことがないので正確な数は不明) もの人を面接してきましたが、 面接を受けたのは (新卒時を含めて) 数回程度しかないので、 他社がどんな面接をしているのか大変興味があります ;-)。
私は、 23歳からの 11年間を研究者として、 次の 11年間を経営者として全力で取組んできました。 私はまだ 45歳、 さらにもう 11年間くらいは何か別のことに全力で取組むことができるはずです。
ついでにいうと、 コンピュータに巡り合ったのが 12歳の時なので、 コンピュータを専ら趣味でいじってた期間も 11年間です。 そしてこの 33年間、 コンピュータに対する関心だけは変らず一貫しているので、 根底ではエンジニアが一番向いているということなのでしょう。
私がいままでやってきたことにこだわるつもりはありません。 11年前、 それまで研究者だった私が、 研究にこだわらずに無謀にもベンチャーの立ち上げに参加したからこそ、 今の私があるわけで、 これからも、 そして生涯、 こだわらずに未知への挑戦を続けていきたいと思います。